前に覚えたことを、新しい場面でも使いたい。しかし、似た経験を同じように扱い過ぎれば、いま必要な行動を取り違える。経験を応用することと、状況を区別することを、脳はどう両立しているのだろうか。
8月にNatureで発表された研究は、マウスの大脳皮質と小脳を同時に観察し、この問題に取り組んだ。課題は、前肢でハンドルを押すことと、仮想空間のコースを走ること。動作は異なるが、行動を終えると1秒後に水が得られるという流れは共通している。原著論文 ↗、著者公開資料 ↗
学習が進むと、マウスは水が出る前から舐め始めるようになる。動作の違いを越えて、報酬が来るタイミングを予測している。
前運動野では、二つの課題に共通する集団活動が見られた。一方、小脳の顆粒細胞では、個々の細胞が活動するタイミングが課題に応じて変わっていた。
ただし、小脳の活動が課題ごとにばらばらに組み直されたわけではない。多数の細胞の活動をまとめて見ると、時間的な推移の形を保ちながら、二つの課題の表現が分かれていた。著者らはこれを「回転」と表現している。細胞や配線が物理的に回るのではなく、集団活動を表す座標上で向きが変わるという意味だ。この分離は、課題に熟達したマウスほど大きかった。論文要旨 ↗
ここに、経験を再利用する一つの方法が見える。共通する時間的な構造を捨てずに、状況に応じて表現を分ける。研究者が作った計算モデルでも、この方式は、速く学ぶことと、新しい学習が別の課題を乱しにくいことの両立に役立った。著者のモデル・解析コード ↗
以前、変化する脳で記憶が保たれる理由 ↗を考えた。今回の研究は長期記憶の維持を直接調べたものではないが、そこへ別の角度から問いを加えられる。
何かを同じ経験として使い続けるために、すべての細胞が同じように活動する必要はあるのだろうか。個々の活動が変わっても、集団の中で保たれる関係や、活動が進む順序があれば、利用できる構造は残るのではないか。
ニューラルネットでも、新しい課題を学ぶことで、それまでできていたことが崩れる場合がある。今回の研究が与える発想は、課題ごとに記憶の置き場を増やすことだけではない。共有できる構造を残しながら、取り違えてはいけない部分を分けることだ。
脳の柔軟さは、何でも書き換えられることだけから生まれるのではない。変える部分と、使い続ける部分を分けられることが、経験を積み重ねる力を支えているのかもしれない。
出典・参考資料
この版の作成時に確認した公開資料。リンク先はその後更新される場合があります。
- 原著論文 ↗www.nature.com ·
- 著者公開資料 ↗zenodo.org ·
- 論文要旨 ↗pubmed.ncbi.nlm.nih.gov ·
- 著者のモデル・解析コード ↗github.com ·
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